[宣言1回] 他の剣豪1人の必殺剣の披露を強制的にパスさせる。
1775?〜1808?
不明
一人でじっくり集中してする稽古
賑やかすぎる場所、賑やかすぎる人
竹刀打込稽古が一般的になった時期の剣豪。
一刀流中西道場・三羽烏の一角を担った。
彼と試合った者がその竹刀にすら触れられぬまま破れる事から、「音無しの剣」と恐れられた。
自身の流派を興さなかった故にか、同時代の剣豪に比べるとその生涯には不明な点が多い。
千葉周作が北辰一刀流を興して独立する時、同門の先輩だった又四郎と記念に立ち会うもまったく敵わなかったという。
また、周作の手記によれば、門下生の指導に熱心でなかったようだ。
一般に文化5年産まれとされているが、これでは周作や他の三羽烏の記録とあまりにも整合しない。
本作では文化5年は没年だったのではないかと解釈している。
三羽烏の他2人は「俺の木剣からは火が出る」「輪がでる」と豪語したと寺田宗有と白井亨。
数年武者修行に出た白井は、その間の中西道場の衰退に愕然とし、先に天真一刀流を興し独立していた寺田の元へと去った。
前述の周作との立会いよりも前の事なので周作も又四郎も中西道場にいた筈だが、特に何も言及されていない。