うろおぼえ剣豪道場 秘剣X

秘剣Xロゴ
「これは、死んだな——————。」

日本の剣術史に名を残す剣豪たちが、あなただけの必殺剣を披露する創作ボードゲーム 。

神崎DTPロゴ
前の剣豪へ 天下の将軍様に教えた、ワルい遊びの数なら誰にも負けない?隻眼のお坊っちゃまの武芸帖、どうか親父殿には内密に。寛永年間。柳生新陰流。『隻眼の侠剣』柳生十兵衛(イラスト:琴美むく) 天下の将軍様に教えた、ワルい遊びの数なら誰にも負けない?隻眼のお坊っちゃまの武芸帖、どうか親父殿には内密に。寛永年間。柳生新陰流。『隻眼の侠剣』柳生十兵衛(イラスト:琴美むく) 後の剣豪へ

剣豪特技 無刀取り [宣言1回] 他の剣豪1人と、手札を最大3枚交換する。

生没年 1607〜1650

愛刀 三池典太光世?

好きなもの ナンパ、ナンパに付き合わせると面白い男

嫌いなもの やたらと腕試しをしたがる男

剣豪政治家・柳生宗矩の長男。時の将軍の小姓となり寵愛を受けるも、後に素行不良を咎められて出入禁止になる。 以後12年、生家の柳生庄で謹慎したと自身の著書には書き残しているが、真偽定かならぬもののこの時期の物と思われる武勇談が数多く残っている。 謹慎が空け、晴れて家督を相続するも数年で変死した。

死後間もなく講壇の主人公として採用され、権力に拘泥しない義侠心あふれる無頼の剣豪として受容されていた。 明治には宗矩が表から幕府を支える一方で、十兵衛が裏から幕府を支えるという定番設定・裏柳生が作られている。 彼が隻眼だったという記録は一切なく、いつ頃からそのように語られるようになったかは不明である。

若い頃は周囲の人を恐れさせていたが、12年にも及ぶ謹慎を経て寛容で温和な性格になったという。 十兵衛以降の柳生新陰流では「相手より先に斬る」より「相手の動きを受けて勝つ」事を重んじるようになったとされ、剣術が戦場の生存術から平和の守護術へと変化していった事が伺える。